西村修平事件第6回口頭弁論(その1)
西村修平事件第6回口頭弁論(その2)
西村修平事件第6回口頭弁論(その3)
この連載は、直接的には当事者尋問の内容に関するものとなっていますが、朝木明代市議の転落死の夜に起こった出来事に関する矢野穂積市議の供述に疑問を呈するものになっています。
このブログの読者ならご存知のことかと思いますが、矢野穂積市議は、転落死の日の夜9時10分ごろに「草の根」事務所に戻った時の様子を、次のように述べています。「事務所の電気、クーラー、ワープロがつけっぱなし、外出のとき常に持ち歩くカバンは事務所に置かれたまま。中には、翌日、高知に行くため普段より多めの現金が入った財布も残されたままだった。」(乙骨正生著『怪死』p.45より)
宇留嶋氏は、「何の異変も感じていないはずの時間帯に、矢野はなぜ明代のバッグの中を見、財布の中身まで見たのだろうか。」という記述しており、これは、暗に、矢野穂積市議の供述の信憑性に疑問があると主張するものでしょう。
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さて、私は、矢野穂積市議の供述の信憑性を更に揺るがす材料を提供したいと思います。
平成7年(1995年)9月11日発行の「週刊現代」平成7年9月23日号には、「東村山女性市議『変死』の謎に迫る/夫と娘が激白!『明代は創価学会に殺された』」という記事が掲載されています。この記事について創価学会が「週刊現代」を発行する講談社等を訴えた「週刊現代」事件は、故朝木明代氏の万引き被疑事件、転落死事件に関する幾多もの裁判の幕開けとなりました。
さて、「週刊現代」のこの記事は、朝木直子市議及び朝木大統氏(故朝木明代市議の夫)への取材に基づいて作成されたものです(少なくとも、裁判所はそのように認定しています。)。「週刊現代」事件の判決文によると、「週刊現代」の記者は、転落死事件の直後の1995年9月5日から6日にかけて朝木直子市議に取材したとされています。そして、朝木直子市議は、「週刊現代」の記者に、概略、下記のように発言したと認定されています。後の説明の便宜上、朝木直子市議の発言に、A部分、B部分、C部分という注釈をつけます。A部分とB部分の間、及びC部分の後には、直接に転落死事件について言及していないために引用を略した部分がありますが、この部分についても読みたい方は、「週刊現代」事件の地裁判決の「第三 当裁判所の判断」を参照してください。
くどくなりますが、以下の発言が、「朝木直子市議」のものであるということに留意してください。
A部分:
「一日の午後一〇時半頃に、母の様子を見に行きました。家にはいませんでした。事務所も誰もいなくて、ワープロの電源がついたままでした。電灯やクーラーもつけっぱなしですし、おまけに母のバッグが、中身も全て置いてあるのを見つけて、正直に言うと、もう会えないのかな、まるで坂本事件のようだなと思いました。
自殺などではありません。これは断言できますよ。母のような人を自殺に追い込むことはできないと思います。支持者の方々も皆そう言ってますよ。それに、もし自殺するために、あのビルから飛び降りたのなら、もっと前に落ちていたはずです。あの位置は真下ですからね。 」
<中略>
B部分:
「警察にしても嘘っぱちですよ。事件に関しても、協力などまるでありません。現実、警察から家には、連絡が全くなかったのですよ、矢野さんには連絡をして、何故こちら遺族には連絡しないのでしょうか。今日(六日)になって初めて、東村山署の白石課長代理から連絡があって『母さんの当日の様子を聞きたいので署まで来てくれ』というのです。おかしいんじゃないですか。今ごろですよ。何故もっと早くに連絡をくれなかったのでしょうか。」
C部分:
「二日の午前二時五〇分頃に、矢野さんの方に、母が亡くなったと連絡が来て、父、妹、弟と共に署に向かいました。署に到着して、母に会いたいと思っていたのですが、刑事課の刑事が、検死が終わるまで会わせてくれないのです。遺族なんだから会わせて下さいとお願いしても『ダメなんだから、ダメなんです』と受けつけてくれませんでした。
やっと会えたのが、検死後の午前五時頃ですよ。既に母は柩に入っていて、顔しか確認できませんでした。死に顔は般若顔、怒ってる顔でした。
その後の解剖に関しても、警察はさらさらやるつもりはなかったですよ。母と面会後、午前六時頃だと思うのですが、白石課長代理が『行政解剖をすることになりました』と言うのです。おかしいと思って、何故ですかと聞くと、『解剖に関しては検事が決めることになっている。司法解剖は事件性の高いものでないとできない。甲野さんの場合は行政解剖になった』というのです。加えて、病院も指定できないとね。彼らはこの事件に関して、事件性はなく、自殺であると決めている訳ですよ。
その後、それでは、こちらで任意で病理解剖をしますと話しました。こちらが何か言うたびに、白石課長代理は、上の階へ行って、誰かと話をしていたようですが、こちらがやると話した病理解剖に関しても、『金がかかりますよ』と気にいらなかったようです。何度か彼は席を外して、結果として『司法解剖となりました』と答えました。何故変わったのですかと、いくら聞いても『こちらでは申し上げられない』と何も答えませんでした。
本当に何から何までおかしいんですよ。身元の確認もさせないまま、ずっと待たされたし、救急車が来て、その後、三時間ほど生きていたにもかかわらず、何故私達を呼ばないのでしょうか。しかも防衛医大では、須田係長が母であることを確認しているんですよ。 <後略>」
上記の発言のA部分を見てはっとしませんか?そうです、矢野穂積市議ではなく朝木直子市議が「一日の午後一〇時半頃に、母の様子を見に行きました。家にはいませんでした。事務所も誰もいなくて、ワープロの電源がついたままでした。電灯やクーラーもつけっぱなしですし、おまけに母のバッグが、中身も全て置いてあるのを見つけて、正直に言うと、もう会えないのかな、まるで坂本事件のようだなと思いました。」と語っているのです。
これはどういうことでしょうか?矢野穂積市議が、午後10時半頃に「草の根」事務所にいたのなら、朝木直子市議が上記のように語るはずがありません。それに、仮に、朝木直子市議が「草の根」事務所に到着した時に矢野穂積市議が「草の根」事務所にいなかったとしても、矢野穂積市議と朝木直子市議とが、「草の根」事務所に到着した時刻以外、全く同様の事を語るのは不自然です。矢野穂積市議の供述と上記の朝木直子市議の発言は、少なくとも一方は虚偽であることは明白です。
では、矢野穂積市議の供述と上記の朝木直子市議の発言のどちらに信憑性があるのでしょうか?もちろん、両方が虚偽である可能性は捨てきれないのですが、私は、上記の朝木直子市議の発言の方に、より信憑性があるように思われます。その理由を説明しましょう。
まず、上記の朝木直子市議に対する取材が、転落死の直後である1995年の9月5日から6日にかけて行われていることです。経験則としては、当事者が事件について発言した場合、事件の発生時に近い発言ほど信憑性が高いことが多いといっていいと思います。そして、9月5日、6日の時点では、矢野穂積市議と朝木直子市議との間で
【12/3 追記】
合わせるのは「口裏」で「口車」ではないですよね。2ちゃんねるの「ニュース議論板」の方、ご指摘有難うございました。
そして、何よりも、転落死の夜に起こった出来事についての朝木直子市議の発言は、乙骨正生氏の著作「怪死」の記載はおろか、宇留嶋瑞郎氏の著作「民主主義汚染」の記載とさえ整合性があるのです。
まず、朝木直子市議の発言のB部分について検討しましょう。B部分は、警察の事情聴取についての発言ですが、この点については、「怪死」には、何ら言及がありません。一方、「民主主義汚染」には、p.155からp.156にかけて、次のような記載があります:
「客観状況に関する限り、現場と遺体の状況から自殺の線が濃厚になっていた。しかし、当の転落死当日、明代に何があったのかについては警察には何もわかっていなかった。遺族や矢野から事情聴取する必要があった。しかし、千葉英司は遺族に対する事情聴取は、明代の初七日が終わるまでは待つつもりだった。肉親を失った遺族の感情に配慮したのである。」
この記載は、朝木直子市議の発言の
続いて、C部分について検討しましょう。
まず、乙骨正生氏の著作「怪死」のp.19からp.20にかけて、次のように記載されています:
p.19
『二時四十分:矢野氏が「朝木さんの自宅前に不審な車が止まっている。朝木さんは行方不明状態だ。連れ去られた可能性もある」と110番通報。
二時五十分:「草の根」事務所の矢野氏のもとに東村山署横田交通課長から電話。「110番したのは矢野先生ですか。朝木議員が防衛医大病院に救急車で運ばれ、すでに死亡したそうです」』
p.20
『午前三時:直子さん、矢野氏ら遺族、関係者、東村山署へ駆けつける。
「電話連絡の際、『いまどこに朝木さんはいるんだ』と尋ねたところ、『防衛医大からこちらに向かっている』というので、警察署に駆けつけた。ところが、いつまでたっても遺体確認をさせてくれない。
<中略>
四時頃:遺体がすでに棺に入れられた状態で、葬儀社の車によって到着。遺族が会わせるように」要求するが、拒否され、そのまま霊安室で検視実施。
<中略>
五時頃:遺族ようやく遺体と対面。その際、鶴見刑事課長、霊安室内で遺族に対し「これは自殺なんだから、自殺なんだから」とくり返す。遺族が「殺人なのにおかしい」と鶴見刑事課長に抗議。
対面後、葬儀社から「いつ自宅にお連れしましょうか」との打診。遺族が、「解剖は予定されていないのか」と反問すると、「解剖は予定されていない」との返答。白石刑事課長代理も「解剖しない」と発言。遺族が「殺人なのにおかしい」と抗議。任意での病理解剖を要求すると、検察官を要請。
<中略>
六時頃:検察官到着。同時刻に鑑識ならびに警察犬を使っての捜査開始。
一方、「民主主義汚染」のp.139からp.142には、次のように記載されています。
『午前二時四十分ごろ、再び矢野から東村山署に電話がかかった。今度は110番通報だった。
<中略>
そこで、矢野の110番通報から約10分後、東村山署は矢野に折り返し連絡、東村山駅前から救急車で防衛医大病院に運ばれ、すでに死亡した女性が明代である可能性が高い旨伝えたのである。
矢野が防衛医大に到着したのは、午前3時ごろだった。しかし、不審死の場合、遺体の検案が終わるまでは、たとえ遺族であろうと、遺体に対面することはできない。遺体になんらかの手が加えられる可能性もないとはいえないからである。これは、遺体が明代である可能性が高いからという理由からではなく、ごく一般的な措置なのだ。矢野や遺族らは、遺体になぜすぐ会わせないのかと騒いだという。しかし、検案が終わるまでは、会わせるわけにはいかなかった。
<中略>
ともかく、こうして検案作業が終わり、矢野や遺族は遺体と対面、このときはじめて遺体が
捜査上、「変死」とは任意の「行政解剖」か法的拘束力を持つ「司法解剖」の要の指示でもある。千葉は行政解剖で十分との判断だった。そもそも真相を究明すると言う意味において、行政解剖も司法解剖も実質的な違いはどこにもないのだ。普通なら、遺族は警察の判断にまかせるところである。ところが、このとき遺族らは、行政解剖ならここでやってほしいと病院を指定して譲らなかった。遺族の指定する病院で解剖したのでは、公平な結果が出なくなる恐れがある。そこで、千葉は仕方なく司法解剖に切り換えたのである。』
注釈すれば、上記の「怪死」と「民主主義汚染」の記載のうち、次の2点には疑問があります。まず、「怪死」については、警察が
【12/3 追記】
よく見れば、解剖に関する「怪死」の記載って、いい加減ですなあ。
上記の「怪死」の記載の「解剖」って「司法解剖」と読み替えれば、(検察官を要請した時刻を除いて)間違っていない記載になるのですが、非常に紛らわしい。まあ、「怪死」は、情報操作はある(重要な事実の記載がない等)ものの、記載された事実関係については間違っていないという心証をもっています。
しかしながら、全体としては、朝木直子市議の発言のC部分は、「怪死」と「民主主義汚染」の両方の記載に整合しているといってよいと思います。警察から矢野市議に連絡が行った経緯に関する発言、遺族が遺体とすぐに会わせてもらえなかったことに関する発言、行政解剖から司法解剖への切り換えに関する発言、いずれも、「怪死」と「民主主義汚染」の両方の記載に整合しています。
更に言えば、C部分の記載は、転落死事件についての裁判での認定とも整合しているのです。詳細には議論しませんが、「聖教新聞」事件、「潮」事件、「創価新報」事件、「月刊タイムス」事件の各判決における認定も参照してください。
以上の結果から、私は、朝木直子市議の発言は、全体として信頼がおけるものであり、したがって、上記のA部分も信頼が置けるものである可能性が高いと考えています。9月5日、6日の時点では、「週刊現代」は朝木直子市議にとって味方であり、矢野穂積市議の供述との整合性を取る必要もないのですから、A部分だけ嘘をつく理由がないからです。
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では、朝木直子市議の発言のA部分が信頼できるものとすれば、何が結論できるのでしょうか?
まず、矢野穂積市議が語った転落死の日の夜9時10分ごろに「草の根」事務所に戻った時の事務所の様子は、実は、朝木直子市議が見た事務所の様子であり、この点に関する矢野穂積市議の供述が信用できないということです。
次に言える事は、矢野穂積市議は、朝木直子市議が「草の根」事務所に到着した午後10時半頃には、「草の根」事務所にいなかったということです。朝木直子市議は「一日の午後一〇時半頃に、母の様子を見に行きました。家にはいませんでした。事務所も誰もいなくて・・・」と発言しているのですから。一体、矢野穂積市議は、午後10時半頃に何をしていたのでしょうか?ひょっとしたら、行方が分からなくなった故明代氏を探すために外出していたのではないでしょうか?
ちなみに、矢野穂積市議が午後10時半頃に「草の根」事務所にいなかったとすれば、完全に説明できることが一つあります。矢野穂積市議・朝木直子市議の共著「東村山の闇」によれば、矢野穂積市議が10時40分頃までに「草の根」事務所から警察に電話をしたとされていますが、「民主主義汚染」には、この時間帯には警察に電話はなく、実際に電話があったのは午前0時半と記載されています。朝木直子市議の発言のとおり、矢野穂積市議が午後10時半頃に「草の根」事務所にいなかったとすれば、10時40分頃までに「草の根」事務所から警察に電話があったという事実はないという「民主主義汚染」の記載と整合します。ちなみに、「草の根」事務所の電話の発信記録には、10時33分に発信したという記録があります(ソースは、ひ・み・つ)。おそらく、矢野穂積市議は、この発信記録は10時40分頃までに電話をしたという主張と整合しているといいたいのでしょうが、この電話発信は、朝木直子市議のものではないでしょうか?
そして、もう一つ結論付けられることは、---極めて残念なことですが---朝木直子市議は、矢野穂積市議の主張に虚偽が含まれていることに気づきながらも、故朝木明代氏の謀殺説を主張し続けているらしいということです。朝木直子市議は、自分が事務所で目撃したことを、矢野穂瑞市議が目撃したことにして故朝木明代氏の謀殺説を主張し続けているのですから。私は、実は、朝木直子市議が矢野穂積市議にだまされて故朝木明代氏の謀殺説を信じているのか、それとも、虚偽の主張を自ら広めているのか、判断に迷う時期がありました。というのも、2008年8月24日に行われた「政治と宗教を考えるシンポジウム」における朝木直子市議の態度からは、自ら虚偽と認識しながら虚偽の主張をしていると感じられなかったからです。しかし、今は違います。朝木直子市議は、矢野穂積市議の主張に虚偽が含まれていることに気づきながらも、故朝木明代氏の謀殺説を主張している可能性が高いと思います。そうです、若い女性が切々と話すその姿にだまされてはいけないのです。
更にもう一つ説明できることがあります。「週刊現代」事件の審理において、朝木直子市議は、上記の発言をしたことはないと主張しました。なるほど、もし、朝木直子市議の上記の発言が信頼できるものであるのなら、矢野穂積市議の供述の信憑性が疑われます。両市議にとって、朝木直子市議の上記の発言は、あってはならないものです。ですから、彼らは、たとえ「週刊現代」に不義理をすることになっても、朝木直子市議の上記の発言を否定しなければならなかったのではないでしょうか?そう考えれば、事件が、全体として納得いくものになるのです。
加えて、朝木直子市議が、転落死事件の後に警察の事情聴取に応じなかった理由も理解できます。朝木直子市議以外の関係者は、警察の事情聴取において矢野穂積市議の供述に沿った供述をしているようです。しかし、もし、朝木直子市議が、警察の追及に耐えかねて週刊現代の記者に語ったことと同じことを警察に供述したらどうなるでしょう。警察としては、矢野穂積市議の供述の信用性に疑いを持つことでしょう。そして、9月1日の10時半頃の矢野穂積市議の所在について追求があるかもしれません。これは、矢野穂積市議にとって、困ったことになってしまいます。
くどいようですが、上記の結論は、「朝木直子市議の発言のA部分が信頼できるものとすれば」という前提で得られるものです。朝木直子市議の発言のA部分が正しいか否かは、朝木直子市議本人しか分かりませんから、上記の結論が絶対に正しいという保証はありません。しかし、草の根市民クラブとしての主張が変遷しており、信用性に乏しいとははっきりといえるでしょう。なんせ、事務所の様子を目撃したのが、矢野穂積市議であるか、朝木直子市議であるかという点で、重大な齟齬があるのですから。そして、もし、上記の朝木直子市議の発言が正しいのであれば、全体として事件を整合性をもって説明できるようになるのです。
【追記】
「てにおは」を修正しました。
また、文中の『2008年8月24日に行われた「政治と宗教を考えるシンポジウム」』という文言にシンポジウムの動画をリンクしました。
証言Aでの「おまけに母のバッグが、中身も全て置いてあるのを見つけて」の部分は、「バックの中身が全て出して置いてあった」と言う事ですかね。このあたりも妙な感じがします。鍵の件となにか関連がありそうな気がします。
TIN | URL | 2009-11-25(Wed)09:55 [編集]
感想
下手な推理小説より面白いです。読んでいて素朴な疑問を感じたのですが、安否を気遣っている人間がいたとして、近所に来た救急車は気にならないものなんでしょうか。
裁判記録を読むと、10:50くらいから30分程は現場に救急車がいたようです。事務所から現場までは歩いて2分もかからない距離だそうですから、100メートルほど離れた場所ですよね。それなりの騒ぎにもなっていたと想像するのですが、気が付かないものでしょうか。ここが不思議に思えます。
感想 | URL | 2009-11-25(Wed)13:18 [編集]
コメントありがとうございます。
TINさん、感想さん、コメント有難うございます。お返事が遅くなって申し訳ありません。って、今までも、コメントにあんまり返事してないかも。
折角、コメントしたのに返事がなかったという方、誠に申し訳ありません。忙しくて、なかなかいいコメントを返す暇が・・・。
To TINさん
「おまけに母のバッグが、中身も全て置いてあるのを見つけて」についてですが、「東村山の闇」における矢野氏の記載によれば、「彼女の大きいショルダーバッグが口を少しあけたまま置いて」あったらしいです。
To 感想さん
取りあえず、救急車のサイレンが聞こえていることは確実です。
そして、電話の発信記録によれば、午後10時半から午前0時半まで、誰かが「草の根」事務所にいたのは確実です。ちなみに、午後10時半から午前0時半まで、明代氏・直子氏の自宅にも誰かがいたことは確実なのですが・・・。
いずれにしても、午後9時から午前0時半ころまでの、明代氏、矢野氏、直子氏、及び、明代氏の家族の動きは、大変興味深いです。この辺り、もう一度整理してアップしてみましょう。まとめWikiももう少し精密に記載しようかなあ。
P2C | URL | 2009-12-03(Thu)21:20 [編集]
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